INTERVIEW

漫才師からたこ焼き屋へ、夢を追いかけUターン

生まれ育った地元へUターンし、起業を考えている方も多いのではないでしょうか。今回は、故郷の竹田市へUターンし、新たな挑戦を始めた男性をご紹介します。

 

地元竹田市のイベントやスーパーの駐車場などで販売を行い、地元の子供たちにも大人気で、地域の顔として定着しつつある移動販売のたこ焼き屋さん「K-TAKO」。オーナーの甲斐さんは、竹田で生まれ育った後、夢を追いかけ漫才師として大阪の舞台に立つも、たこ焼き屋へ転身しました。故郷へUターンし、たこ焼き屋を開業した甲斐さんにお話を伺いました。

プロフィール

甲斐 啓太 

竹田市出身。高校卒業後、市内の企業に就職。2年後に憧れだった漫才師を目指し、大阪のNSC吉本総合芸能学院に入学。同期とコンビを組み、ボケを担当する。卒業後、幾度かのコンビ解散を経て、小学校からの夢であったたこ焼き屋さんになるため、大阪のたこ焼き屋にて修行。コロナ禍を機に、2021年、地元の竹田へUターンし、2022年に店舗を持たないたこ焼き屋「K-TAKO 」を起業。竹田市内を中心に移動販売を行っている。

  • Uターンを決めた経緯を教えてください。

    甲斐さん:幼少期に大きな火傷を負ったんですけど、長い治療生活の中で、病室で見たお笑い番組が好きになり、漫才師を目指すようになりました。20歳の時に、大阪のNSCに入学し、リュック一つで引っ越しました。しばらくは漫才師として活動していたのですが、コンビ解散を機に、自分の将来について考えるようになったんです。

    小学校の時に「将来の夢はたこ焼き屋さんになる」っていうのを卒業文集に書いていたんですけど、それを思い出し、自分の店を持つために大阪のたこ焼き屋さんで修行を始めました。ですが、コロナ禍の影響で大阪のたこ焼き屋が閉店したのをきっかけに、ソースのレシピを受け継いで、地元竹田へのUターンを決意しました。

    甲斐さん:お店を出すなら地元の竹田でと考えていました。子どもの頃、スーパーの駐車場に来ていたたこ焼き屋さんがすごく美味しかったんですよね。キャベツがたっぷり入ったお好み焼きみたいなたこ焼きではなく、出汁が効いていてふわトロで。本場大阪のたこ焼きに子どもながらに衝撃を受けて、たこ焼き屋さんになりたいと思ったんです。大阪に行って、本場の味を持ち帰って竹田の人に楽しんでもらいたいと思っていました。

  • Uターンするにあたり、どんな準備をされましたか?

    甲斐さん: 竹田に戻ろうと決めた時に、母が市役所に行って色々と制度を調べてくれて、「竹田市Uターン促進住宅・ 住宅改修事業補助金」で家の改修を、「竹田市創業等支援事業補助金」を使って、移動販売の車を購入しました。

    甲斐さん: 竹田で起業することについて、家族は反対していました。人口が減っている町で起業するのはリスクなんじゃないかと。でも僕は竹田で何か役に立ちたいと思っていました。良いところがあれば、将来は移動販売だけでなく、店舗も持ってたこ焼きとお酒が楽しめる場所を作れたら良いなと考えています。

  • 帰ってきてからすぐに起業されたんですか?

    甲斐さん:補助金の申請をしてから、車をキッチンカー仕様にしたり、営業許可を取ったりと、準備に時間がかかったので、その間は、まちづくり会社さんが開催する創業セミナーを受けていました。その後、まちづくり会社さんが運営する城下町の空き地を活用したチャレンジスペース「チャレンジスクエアMANNAKA」を借りて、テントでたこ焼き屋を営業していました。今は竹田市を中心に移動販売をしていて、週1回、週の真ん中の木曜日に「MANNAKA」で出店しています。り、家族で楽しんでますね。

  • チャレンジスペースで営業されてみて周囲の反応はいかがでしたか?

    甲斐さん: 「美味しい」って言って買いに来てくれる人は多いですね。僕のたこ焼きは、出汁からしっかり時間かけて取って、ふわっと、とろっとするように粉の配合やソースにもこだわっているんです。マヨネーズに岩塩をトッピングしたシチリア風のたこ焼きは、「癖になる」と言ってくれる方も多いです。それにキッチンカー同士や、お客さんとか、いろんな出会いや繋がりがすごく増えましたね。

  • Uターンして、町の変化に驚いたことはありますか?

    甲斐さん: 中九州横断道路ができて、大分市内からのアクセスが良くなったのは大きいですよね。あとは、「たけのこ広場」のような新しい施設とか。トランポリンみたいな遊具があって、子どもがすごく喜ぶだろうなと思いました。

     

  • 都市部から戻ってきて、不便さを感じたことはありますか?

    甲斐さん:チェーン店は少ないですけど、それに困ることはなかったですね。大阪の時は飲みに行く店も多かったですけど、家でゆっくり飲むのも良いですし、唐揚げが好きなので、丸福の唐揚げが近くなって嬉しいです。

    ただ、最初は虫が怖かったです。子どもの頃は平気だったんですけど、大人になって嫌いになって。すばしっこい大きい蜘蛛とか、帰ってきた当初はもう見るたびにうわって叫んだりしてました(笑)。

  • 都会での経験を経て、Uターンしてよかったことや、ライフスタイルの変化を教えてください。

    甲斐さん:こっちに戻ってからは、よく食べ、よく寝るようになりました。価値観が少しずつ変化しているというか、心が穏やかになっていると感じています。すごくゆっくりできていますね。

  • 地元で起業したいという夢を叶えて、今の暮らしはいかがですか?

    甲斐さん:楽しいです。自分がやりたいことをやって、お客さんが来てくれて、たわいもない話をして。 自営業なので固定給がないですし、通帳見ると大変やなと思うこともありますけど、自分が楽しく生きていければそれでいいかなって思っています。

    町としては人口減少とかが問題になっていますけど、小さい頃に楽しい思い出があれば、戻ってくるんじゃないかなって思うんですよね。せっかくこっちに帰ってきたので、なにか竹田の役に立てることをしたいと思っています。

編集後記

漫才師から小さなたこ焼き屋さんへ。夢を追いかけ続け、地元に帰郷した甲斐さんのたこ焼き屋さんは、地元の人々との絆を深め、笑顔を生む場所となっています。「美味しいものがあれば人が来てくれる可能性もあるから、自分のお店が何か町のためになれば良いな」と、話の節々で地元へ貢献したいという思いを語ってくれた甲斐さん。地域に戻り、新しい挑戦を始めることで得られる充実感と喜び、そして地元への愛を感じたインタビューでした。

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