INTERVIEW

東京から竹田へ、ようやくみつけた私の暮らし。

生まれ育った場所から、全く異なる環境へ飛び込むのは勇気がいるものです。その町で生活していけるのか、不安を感じる方も多いのではないでしょうか。移住は人生において転機であり、新たな「自分」との出会いでもあります。今回は、東京から竹田に移住した女性をご紹介します。

 

 

竹田市の中心地、城下町竹田。国指定史跡の岡城跡があり約400年の歴史を持つ風情ある街並みに、スーパーや病院、市役所などが集結する便利で暮らしやすい地域です。城下町に暮らし、4年目を迎える佐藤千絵美さん。東京出身の佐藤さんにとって、竹田へ移住は相当な葛藤がありました。移住するまでの経緯や現在の暮らしについて伺いました。

プロフィール

佐藤千絵美さん
東京都品川区出身。高校卒業後アパレル会社に就職。販売員、副店長として青山・表参道店にて約10年間勤務する。2021年に竹田に移住。現在は有限会社グリーンファーム久住が運営する養鶏場直営カフェ『cafe caprices(カフェ カプリセス)』にて勤務。接客販売はじめ、菓子製造や調理補助も行っている。

  • 移住するまでの経緯を教えてください。

    佐藤さん:私は生まれも育ちも東京なんです。2019年12月に結婚しました。夫は飲食業だったんですが、コロナが本格化した時に打撃を受け、会社が休業してしまったんです。その頃、竹田市が久住高原荘(現:天空の大地 久住高原ホテル)の運営委託先を募集していたんです。当時の会社の社長も竹田市出身ということもあってか、夫にホテルの話を持ってきたんです。それを聞いた時は大反対でした。ずっと飲食をやってきたのに、代表者としてホテルを運営する側になるなんて。ましてやコロナ禍でどうなるかわからないし、何で知らない町に行かなければならないの?今の仕事も辞めたくないし、東京を離れたくない。そこから数カ月にわたって、夫との話し合いが始まりました。

    佐藤さんが育った品川区、オフィス街に囲まれ東海道新幹線も停車する品川駅

    佐藤さん:まず「竹田ってどこ?」から始まりました。そもそも九州に行ったことがなかったんです。夫が福岡出身で、夫の両親に結婚の挨拶に行ったことがあるくらいで、大分県がどこにあるのかすら分かっていなかったんです。夫が私にいろいろプレゼンをしてくるんですが、納得できるプレゼンは一つも無くて、私は全否定。夫が先に竹田に行って、事業がある程度成功したら私も行く、いきなり未知の所に二人で飛び込むのはリスクが高いと話したんです。だけど、結婚して間もなかったこともあって、夫は一人で行くならこの事業はやらないって言われて、そこから本当に悩みました。

    いろんな人に相談して、最終的に響いたのは私の母の言葉でした。「籍を入れて妻になったんだから、夫について行ってあげなさい」と。私はやりたい仕事に就いて、転職も経験してきました。でも夫は一つの仕事をずっと何十年も続けてきて、コロナ禍の状況でありながらも「やりたい」って言ったんですね。その言葉を私が否定する立場じゃないって気づいて、たくさん悩んだ末に、「行きます」っていう結論を出せました。「人生は一回だし、何かあったら帰ってくればいい。だから1回行ってみたら?」という友人の言葉にも助けられ、2021年3月に竹田に引っ越してきました。

  • 移住に向けて、どんな準備をされましたか?

    佐藤さん:話し合いから3ヶ月後に移住しました。夫が先に移住する1カ月前に東京を出て家探しとホテルのリニューアルオープンの準備を進めました。並行して、竹田市内の教習所で運転免許証を取っていました。家を決める前に引っ越し先が決まっているという、順序がおかしいのですが、それぐらい切羽詰まっていました。東京の感覚で不動産を探そうとしても件数が少ないんですよね。二人とも当時運転免許は持っていなかったので、生活拠点は竹田以外ありえませんでした。夫が1カ月でどうにか知り合いを作って、相談しながら家を探しました。

    佐藤さん:その中で知り合いになった方が、以前住んでた家が空いてると紹介してくれたのが今の家です。城下町内にあり、ここならスーパーも近いし、車の運転できなくてもどうにかなると思い決めました。家が決まったのが移住する数週間前で、私は東京でまだ仕事をしていて、コロナで社会は混乱しているし、現実的にはやらなきゃいけないことも迫っていて心が付いていかず、不安でいっぱいでした。こうやって笑って話せるなんて、成長したんだと思います。でも当時は大変でした。

  • 移住してからの生活はいかがでしたか?

    佐藤さん:引っ越してきた初日、カーテンをぱっと開けたら、通りに人が居ないってところからのスタートでした。景色は全然違うし、静かで、急に人の声が聞こえるとびっくりすることもありました。東京の雑踏の中で暮らしてきたので最初は慣れませんでした。夫は福岡で育って、高校卒業後に東京へ出たんです。夫の母方が竹田市出身で、夫はおじいちゃん子だったようです。小さい頃から竹田に遊びに来て、夏休みには虫を取ったり、すごくいい思い出があるので、今回の移住に関して、そこまで苦じゃなかったと思うんです。だからそこも、私とのギャップがあり過ぎて、移住に対して温度差がありました。

    佐藤さん:竹田に来て、人の距離が近いなと思いました。いい意味でも悪い意味でも。引っ越してきてすぐスーパーに行ったんですが、「背高いねえ」って、レジのおばちゃんがまるでずっと知り合いかのように開口一番、ポーンと話しかけられたんです。東京ではまず無いことです。嫌な気持ちにはならなかったんですけど、びっくりしつつ嬉しいような不思議な気持ちになった事はよく覚えています。

    移住後は2年半くらい、なかなか人との接点が持てなかったんです。夫が心配してたのが、私が一人っていうこと。東京の家族や友達とテレビ電話やオンラインゲームで繋がることで安らぎを得ていました。だけどそれが無くなると一気に現実に戻されて、喋る相手は夫しか居ない。夫は仕事が忙しく、ポツンと家に一人きり、喋るのはスーパーのおばちゃんくらい(笑)。私は意地っ張りで頑固なので、当時はそれでもいい、竹田で友人も必要ないと思ってました、もちろん精神的に不安定な時もありましたし、決して毎日が楽しいとは思えない日々でした。

  • 移住して不便だと感じた点はありましたか?

    佐藤さん:とりあえず不便なのは、車がないと生活できない。虫が多い。移住当初は何もかもがマイナスに感じてました。夫から「お願いだから免許取ってくれ」って言われても断り続けていて、3年目でようやく免許を取ったんです。それまでずっと自転車で、意地でも免許を取らない。免許を取ると、この生活を自分の中で受け入れたような、”負け”のような気がしてたんです(笑)。私はチャリンコでも生活できるぞってところを見せつけたかったんです。

    佐藤さん:最近は初心者マークもようやく取れて、久住高原までドライブをしたり、大分市内にも行きました。竹田市外はまだ怖いんですけど、市内のこの辺りでは、我がもの顔で運転しています(笑)。虫は未だにダメです。一番苦手といっても過言じゃないくらい。

  • 3年目を迎え、仕事を始めたきっかけは何でしたか?

    佐藤さん:移住前に夫に、無理して働かなくていいよって言われていたんです。3年目に入って運転免許も取って、ちょっとずつ精神的にも上がってきて、そろそろ働いてもいいかなと思えるようになりました。夫にも意地を張り、周囲にも意地を張り、そんな生活に飽きてきたんです。それに竹田に来て太ったんです。何にもしてなかったから(笑)。夫も頑張っているし、私ももう少し旦那さんのことも考えてあげなきゃだめだ、外に出て働いてみようと思ったんです。

    cafe caprices(カフェ カプリセス)の店内にて

    佐藤さん:こういう仕事があるよ、どう?って、夫がcafe caprices(カフェ カプリセス)を勧めてくれたんです。早速、面接を受けました。働き始めてから半年経つんですけど、アパレルで接客をずっとやっていたので、カフェはシチュエーションが違うけれども、人と関わることは一緒だし楽しいなと。観察じゃないですけど、竹田にはどういう方がいるんだろうって思いながら接客してますね。竹田は人との距離が近いという話に戻りますが、気軽に話しかけられることも今は楽しめるようになりました。

     

    佐藤さん:働き出してから、人とのコミュニケーションが一気に拡がりました。人と話すってこんな感じだったって思い出しました(笑)。自分のことを話せる人がスタッフの中にできたし、こんな感覚で私は東京で働いていたのかと、毎日充実しています。自分の中でようやく回り始めたというか、なんか“わたし居るな”、“存在してるな”って感じます。これで旦那さんも安心できるのかな。カプリセスでいろんな人に出会えて、今はとても楽しく生活が出来ています。

  • 竹田に移住して良かったことを教えてください。

    佐藤さん:発見したことは星が綺麗。空を見るのが大好きなんです。東京は明るいから星があまり見えなかったんですよね。あとは空気が綺麗ってよく言うじゃないですか、分からなかったんですけど、毎年冬になると咳が止まらなくなってたのが、竹田に来てからの3年間はそれが無いんですよ。ってことは空気が澄んでるからなんだと思います。自分にとっては、すごくそれが良かったです。あとは、いろんな温泉に気軽に行けるっていうのも魅力です。東京にいた時は頻繁に行ってた訳じゃないですけど、近くにあるから行ってみようっていう気持ちになれたのも良かった。道の駅も楽しいですよ。野菜がスーパーより美味しそうで安かったりすると嬉しくなります。唐揚げも美味しいですし、夫は水が違う、水が美味しいって言いますね。

    佐藤さん:働き始めてから、やっとリズムがつかめたような。精神も安定してます。新しくこれがやりたいとか、まだ先のビジョンは全然無くて、とにかく笑って過ごせれば、それだけで幸せ。移住して2年半は全然笑ってなかったんですが、やっぱり「笑顔がいいね」って言われて、ああ、私は笑ってる方がいいんだと改めて気づきました。

  • 取材後に、夫の佐藤侑司さんにもお話を伺いました。

    佐藤侑司さん:竹田で始めた事業が軌道に乗るまでは、妻に迷惑をかけているなと思っていましたし、頑張ってくれていることに感謝しています。東京と竹田の生活は180度違うので、受け止めるまでに時間がかかっていました。知り合いが誰もいない環境下の中で、最初のとっかかりがなかなか無かったと思います。竹田の生活に年々慣れてきて、仕事も始めて知り合いや友達も出来てきてるんで、良かったと感じています。

    佐藤侑司さんが代表取締役として運営する、天空の大地 久住高原ホテルにて

  • これから移住する方へのアドバイスをお願いします。

    佐藤さん:自分の意志で移住したいと思うならいいんですが、私のように移住せざるを得ない立場になった人は、ちゃんと自分の気持ちを整理して、納得して来ることが大事です。誰か頼れる人が近くにいるといいですね。近くでなくても相談できる相手がいるといい。あとは、あんまり不安に思わないこと。移住前に起きないことを不安がってもしょうがない、予想外のことが起きるのが普通だから。何か起きたらその時に考えればいいっていう気持ちで来ればいいのかなって思います。

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編集後記

不慣れな土地で、どう自分と向き合い、生き甲斐を見出していくか。そのひとつの答えを提示するように語ってくださった、佐藤さん。カプリセスで接客する姿は華やかで、きらきらと輝いていました。ご夫婦揃っての素敵な笑顔も印象的で、一つの困難を乗り越えた絆が感じられました。佐藤さんの移住生活はこれから、まだ始まったばかり。働くことで見つけた小さな喜びが、大きな喜びへと開花し、さらに充実した日々へと繋がっていくことでしょう。

 

久住高原にある養鶏場直営カフェ cafe caprices(カフェ カプリセス)

https://www.instagram.com/caprices_taketa/

 

佐藤侑司さんが代表取締役として運営している、天空の大地 久住高原ホテル
https://kujukogenhotel.com/

 

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